エッチのあれこれ㉖ 江戸の流行発信元は湯女に遊女

 髪型に着物の色柄、袖の形、はたまた帯の結び方まで…。

 江戸時代の女性たちもファッションの流行に敏感で、現代女性に負けてはいません。かっこいいと思ったものはすぐに取り入れていたようです。

 もちろん、流行の発信者、発信元がいたわけですが、これがなかなかユニーク。

 たとえば、江戸時代中期から明治頃まで既婚女性の髪形の代表だった「丸髷(まげ)」は、銭湯の湯女(当時の風俗嬢)だった勝山が考案し、自ら結っていた「勝山髷」が変化したものなんです。

 では、未婚者の髪形の代表だった「島田髷」の発信者はというと、なんと、東海道島田宿の女郎。彼女たちが結っていた髷だったので、「島田髷」と呼ぶようになったんです。そのうえ、和装で結婚式を挙げるときの髪形「文金高島田」も「島田髷」の発展系だから、あの美しい花嫁さんの髪形は元を正せば女郎の髪形だったわけ。

 江戸後期、美人として名高かったお茶の看板娘「難波屋おきた」の浮世絵を葛飾北斎が何枚も描いたことから、彼女の人気はさらに上昇。当時の娘たちが、こぞって彼女の着物の着方から、ぞろっとだらしない帯の結び方まで真似をしたのだそう。

 流行の発信元が湯女に遊女、茶屋娘というのだから、それを取り入れていた当時の女性たちも勇気がある…。いやはや、流行おそるべし…。

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