エッチのあれこれ #67 慈愛に満ちた平安時代の遊女

 平安後期、我が国で初めて売春と娼婦の生態を考察し、記録した『遊女記』という貴重な資料がある。

筆者は、権中納言・大江匡房。最晩年には大蔵卿にまで登ったエリートであり、詠んだ歌が『百人一首』の中に撰ばれているほどの歌人でもあった。

 遊女といえば、すぐに吉原が思い浮かぶが、それは江戸時代の話。『遊女記』によれば、平安時代に水上交通の要所だった淀川沿いの江口の里や、摂津(現在の大阪府北中部から兵庫県南東部)の神崎、蟹島あたりが有名だったようだ。

 葦が生い茂った入り江には遊女の乗った小舟が群れをなしていて、旅行者の乗った船が着くたびに、大きな声で今様(当時の流行歌)を歌って誘い、春を売る。匡房本人も、「天下第一の歓楽地である」と書き残したくらいだから、この地はよほど男性天国だったのだろう。

 面白いのは、当時遊女の源氏名の付け方。江口の里は中君、小馬、白女、主殿。神崎では孤蘇、宮子、力余。そして蟹島が最もユニークで、如意に香炉、孔雀、三枚(三味?)…どこか仏教的な匂いも漂っているのである。

 そんな彼女たち、上は殿上人から下は一般庶民まで、身分の上下に関係なく「慈愛に満ちた接客」を提供していたそうだが、どんなサービス内容だったのか、やっぱり気になりますよね。

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