政務はすべて重臣任せ。21人の側近たちを相手にせっせと励んだ結果、将軍在職中に残した功績が、子供54人と、幕府財政の逼迫という、徳川十一代の家斉さん。
バラエティーのひな壇に座っていたら、「他にすることあっただろ」と、ツッコミを入れられちゃいそうなくらい、日夜、ご政道ならぬ、ご性道に精進されていたのです。
当時の強精剤、しょうが汁とオットセイのペニスの粉末は必需品。「オットセイ将軍」などと陰口までたたかれていたそうですから、もしかしたら江戸中のマムシとスッポンも食べつくしてたんじゃないかと思えるくらいの性豪ぶりです。
ここまでなら、スケベなオヤジだなと笑えるところなんですが、そう笑ってもいられなかったのが大名たち。だって、ポンポン大量生産されてくる若様と姫様を自分たちが引き受けなきゃならない。去年は隣の藩が押しつけられたから、今年はうちの藩じゃ…などと、戦々恐々としていたようですよ。
悲惨だったのが、越前福井藩。降嫁してきた浅姫と藩主との間にあらたに生まれた若君が早世したとたん、待っていましたとばかりに、浅姫の弟を養子としてゴリ押しされちゃった。
「英雄、色を好む」なんてことわざはあるけれど、無能なうえにスケベなオヤジが、金だけでなく権力まで持っちゃうと、ほんと怖いですよね。


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