エッチのあれこれ㉔ 日本に梅毒が入ってきたのは室町後期

 ペニシリンの普及以降、激減していた梅毒が近年世界中で再び勢いを増しているそうだが、もちろん日本も例外ではない。

 梅毒は元々西インド諸島の風土病だったといわれ、1493年、コロンブスのアメリカ大陸発見に際して、その乗組員がヨーロッパに移入。たちまちヨーロッパ全土に拡がったとされている。

 わが国に梅毒が入ってきたのは室町後期の1512年。公家で歌人の三条西実隆が、歌日記『再昌草』に「道堅法師、唐瘡(とうがさ)をわずらふ」と、梅毒が京都で流行り始めたことを文献上初めて記したが、早くもその翌年には関東でも流行していたというのだから、伝播の速さに驚くほかはない。

 梅毒という名称については、病傷が楊梅(ヤマモモ)の実に似ていたために楊梅瘡と呼ばれていたのが、いつしか変化したようだ。

 そして、江戸時代、花街の広がりとともに大流行。杉田玄白が晩年に著した回想録『形影夜話』に、「毎年1000人を治療したが、そのうちの7,8割が梅毒だった」と記している。また、『骨が語る日本人の歴史』(片山一道署・ちくま新書)には、江戸期の成人男性の骨、56人中19人分に梅毒の症状が見られたとあるから、とんでもない羅患率だ。

 気をつけよう、甘い言葉と性感染症。わかってても、やっちゃうんだよね。哀しいな…。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です